Mさん、さようなら。

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 Mさんが亡くなった。昨年の6月頃にガンが見つかって、半年ほどの闘病生活を経て、あっという間に亡くなってしまった。生前、僕もあまり歳のことは聞かなかったんだけど、ご家族の話によると71才ということだった。
 Mさんはさらま交易にとってはかけがえのない大切なお客さんだった。アフリカアートの筋金入りのコレクター。コレクターの中には、数年間、火がついたようにアフリカ彫刻を買いあさった後、ぱったりと消息がわからなくなるお客さんは多々いるんだけど、数十年にわたって、間断なく、それも上質の特級品ばかりに狙いを定めて、まるで執念の塊のように、収集し続けた人は、彼を置いて他には知らない。亡くなる直前まで、次の入荷のことを気にされて、アフリカで良いものがあれば必ず写真を送るように言いつけられた。
 Mさんとは、15年以上前に、名古屋の丸栄百貨店で催された「輸入雑貨フェアー」で初めてお会いした。その催事では、他にもすさまじい購買意欲を持ったお客さんが多数いて、正直のところあまり記憶にない。だがその後、数回、同百貨店の催事に出店する中で、毎回来られる常連さんと言うことで次第に記憶に残るようになり、あるとき、倉庫を訪問しても良いかというご本人からの問い合わせがあって、それ以来、来られれば一緒に食事に行ったりという間柄になった。
 その後Mさんは、最初の頃は2ヶ月に一度くらいの割合で、倉庫を訪問するようになったんだけど、来る時はいつも夜中のうちに自宅を出て、倉庫には夜も明けぬ頃には到着しているという具合だった。9時半頃に僕らが出勤する頃には、もうずいぶんリラックスしたていで、門の前で待っている。最初のうちは、彼に合わせて早く倉庫に行って門を開けてあげたりしていたんだけど、回を重ねるうちにもう面倒になって、そんなに早く来て待っていたいなら勝手に待っていてくださいとばかり、かなりうっちゃった扱いになっていたように思う。あるときなんて、夜はかなり遅くまで仕事をしている僕が、そろそろ帰ろうという夜の11時頃に、事務所を出たところになんともうMさんがやってきた。これには驚いてしまって、朝までどうするんですかと聞いたら、車の中で寝てるから早く来てねなんて言う。もうしかたないから、うちに来て泊まりますかというと、イヤここでいいと言い張るし、じゃあ、せめて倉庫の中で泊まっていってくださいというと、それにはとても嬉しそうに従ってくれた。Mさんはすこしでも長い時間、アフリカの彫刻の側にいられると嬉しいのだ。不思議な人だった。翌日、倉庫に行ってみると、ギャラリーのそこら辺がなんだかきれいに掃除されている。立像やマスクは、整然と並び替えられて、一つ一つに磨きがかけられている途中だった。こんなほっちゃらかしといちゃダメだよ。埃だってたまにはふき取ってあげないと、などとぶつぶつ言いながら楽しそうに掃除をしてくれているのだ。いやはや恐縮することしかり。
 Mさんはアフリカに行ったことがない。晩年は膝を悪くして、すこしびっこを引いているような歩き方だったんだけど、そうなる前は、よく僕にアフリカに一度連れて行ってくれと頼むことがあった。僕は基本的にお客さんを自分の商売現場に連れて行くのは好まないので、いつものらりくらりと、いつかそのうちにねとか、急ぎの用事がなければねとか言っては、はぐらかしていたんだけど、そんなMさんが、半年ほど倉庫に現れない年があった。それは何年だったか忘れたけど、愛知万博が開催された年だった。うちに来ない事情はすぐにわかった。愛知万博のアフリカパビリオンに通い詰めていたのだ。僕は万博には結局一度も行かなかったんだけど、実に数十カ国のアフリカ出展者たちが、はるばるアフリカ現地からよりどりの品物を抱えて集っていたらしい。Mさんにとっては初めてのアフリカ臨場体験だったのだろうと思う。ある時、電話だけしてきたMさんの高ぶった声を聞きながら、軽い嫉妬心を感じたのを憶えている。あの万博以来、アフリカに連れて行けとあまり言わなくなったような気がするのだけど、それは万博体験が理由だったかどうかは知らない。あるいは単に、体力に自信がなくなっただけなのか。でも彼が亡くなった今、一度くらいは彼をアフリカに連れて行ってあげるべきだったと悔やんでいる。
 僕もまたMさんと同じように、アフリカアートの虜になった一人ではあるのだけど、僕はあくまで商人であることを自覚している。コレクターのお手伝いは出来ても、自らを筋金入りのコレクターに仕向けるわけにはいかない。そんなことをしたら、商売あがったりというやつだ。どんなに凄い値打ちのある品物を手にしても、潔くそれを手放すことが出来なければ、商売人にはなれない。そのぶん僕らはコレクターのお客さんの心中に共鳴できるように自己訓練をしたりする。どうしてこの人はこの品物を手に入れたいのか。親身になって考える。でも、ほとんどよくわかっていないのが実情だ。Mさんの場合もそうだった。なぜアフリカの仮面を数十個、いやあるいは数百個だったかもしれない、そんな途方もない数を収集し続けなくてはいけなかったのだろう。お客さんの中には、二つ三つ買って、床の間あたりに飾れば満足される方はたくさんいる。あるいは相当高額な彫刻をたぐいまれな美術品と称して購入され、それを廉価で扱っている我々のような零細業者に延々と自慢される人もいる。お金持ちの社長さんなんかに多いタイプ。Mさんはこういったありがちなお客さんの中にはまったく類型を見ないタイプのコレクターだった。自分の持っているものを決して自慢しない、ひけらかさない、それどころか何を持っているかすら正確には喋らない。ひたすら次に食指を動かすものを狙いをつけているハンターのようだった。いつもの口癖は、もっとおもしろいものを探してきてよ、だった。いいものを買ってこなくっちゃだめだよ。とにかく良いのがあったら写真を送ってね。
 Mさんのご自宅には、昨年、病気がわかってお見舞いに行く時に初めて訪問させてもらったのだけど、彼の収集品の、想像をはるかに超える物量に僕は絶句してしまった。そしてその量より何より驚いたのは、収集した品々への行き届いた手入れのことだった。彼は手に入れたものは、戦利品として過去のものとしていたわけではなかった。日々、手入れをして、触ったり磨いたり眺めたりを繰り返していたのだった。驚くべき、執着心だと思う。彼によって、収集されたアフリカアートの数々は実に幸せだったんじゃないだろうか。少なくとも、うちの倉庫で転がっている彫刻品に比べると、その違いは歴然である。そして、かれの長年培った眼力によって選び抜かれた品々の格調は、天まで昇るほどだった。
 Mさんのお葬式の時、ご家族の方に僕はお願いした。どうぞあの品々を、簡単に処分したり、バラバラに分散したりしないでください。Mコレクションとして、何らかの方法で安全に末永く保存してもらうことはできないだろうか。あの場所にはMさんの魂が宿っているような気がする。彼は、自分が死んだ後は、家族が適当に処分してくれりゃいいと言い残したそうだけど、あれだけの文化財を適当に処分というわけには行かないだろう。Mさんは生前、自分のコレクションをあまり人に吹聴してまわらなかったのは、大事になるのを好まなかったからだろうと思うけど、やはりあのコレクションはどう考えたって大事なのである。僕が切に思うのは、安全に末永く保存するということだけで、一般公開すべきとかは二の次の問題と思う。ご家族があの場所であのまま、そっと保存していってくれるならそれが一番いいんじゃないかという気がする。

 Mさん、さようなら。この十数年、Mさんと一緒に歩んできたようなさらま交易でした。いまでも事務所の扉を開けるとMさんがそこでニコニコして門が開くのを待っているような気がします。Mさんに鍛えられた、僕のアフリカアート眼はものになっているでしょうか? これからも僕は僕の眼でしっかり見定めて、よいものをお客さんに送り続けます。病気がよくなったら、次の商品到着の時はぜひ奥さんといらしてくださいと言っていたアフリカからのコンテナーが、まもなく着くと思います。Mさんの病床に携帯メールで写真をお届けしたアフリカの椅子や扉もその中に入っています。僕は商売人ですので、もちろんそれらを買ってくれるお客さんを探します。Mさんはどうぞその光景を天国からゆったり眺めてらしてください。そしてアフリカの精霊たちよ、Mさんの御霊を永久の平安にお導きください。ご冥福をお祈りいたします。さようなら。

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