死者を葬るお寺・カトマンズ日記

画像
画像
画像


この一週間はカトマンズにおりました。無計画に下調べもなしにいきなりやってきましたが、無事に仕事を終えることができたので、今日は午後から急ぎ足で市内観光にまわってきました。

カトマンズ空港近くにある大きなヒンドゥー寺院では、境内の真ん中に流れる川沿いに設けられたいくつもの火葬台のうえで、まさに今、何体もの死者の火葬がとりおこなわれているところで、ちょっと絶句。それを参拝者なのか観光客なのか、多くの現地の人々が、対岸でまるで夕涼みをするかのごとく、猛烈に人を焼く煙が立ちこめる中、談笑しながら火葬風景をのんびりと眺めている光景が、なんとも不思議な雰囲気をかもしだしていました。生者と死者が宗教を軸に、同じ空間を普通に共有する。今の日本では、もうとっくの昔に忘れられてしまった感覚です。

それともう一つ、ヒンドゥーの寺院は、実に汚い。ゴミは散乱し、掃除をしている人はいるんだかどうなんだか・・ これもちょっとした驚き。日本では、寺院は掃き清められ、塵一つなく、静謐さに満ちているのがあたりまえ。でもここカトマンズではそうじゃない。ルーツを同じく持つ宗教なのに何が違うんだろうと、考えさせられました。死者を葬る寺院でもあるんだからもう少し厳かに神妙な雰囲気を作れないんだろうかと思ったりしたけど、たぶんヒンドゥーはそういう取り繕った厳かさとは無縁なんでしょう。宗教はべつに改まるものでも襟を正すものでもない。普通の人間の日常生活の延長上にあるんだろうと勝手に解釈しました。だから寺の境内には、別に改まってここに参拝しに来た雰囲気ではない普通のそのへんのおっちゃん、おばちゃん、爺さん婆さん、それになんと若者から恋人同士まで、いたるところにうじゃうじゃいて、ただそのへんの石の上や、ストゥーパの縁や、川辺や、ベンチに腰掛けて、ぺちゃくちゃお喋りしたり、一人だけの人は、ただぼうっとした表情で道行く人を眺めていたりと、単にこの境内で時間を過ごすことが意義あることかのごとく、ずうっと滞在しているんです。

まさに宗教と日常と生者と死者と三位一体ならぬ四位一体。こりゃすごいわなと一人感動する一日でした。

※写真は、火葬をしている寺院ではありません。とてもあそこでは写真を撮れませんでした。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 1

ナイス

この記事へのコメント